僕なりに考えている「フラットな考え方」というもの

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兵庫県在住。
フリーランス13年、訓練校講師10期目。
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どうも、ブログサポーターがみたかです。

 

先日書いた記事に、

「フラットでいこうよ^^」

的なことを書きましたが、

それについてもう少し書いてみようと思います。

 

 

刺激と反応の間

僕が大好きな本でもある

「まんがでわかる7つの習慣」

という本があるのですが、

その中にもこの「刺激と反応の間」というものにちなんだ、

出来事が起こります。

 

気になる方は読んでみてください^^

とても読みやすいのでオススメですよ!

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ある出来事(刺激)が起こった時に、

自分がどう反応(行動)するかで、

結果が大きく変わるというものです。

 

 

例えば子供がテストで90点を取った時に、

90点だったことに対して褒めるのか、

100点じゃなかったことに対して怒るのかってことです。

 

 

ちなみに、うちは小学3年生の子供がいますが、

どちらかというと褒めまくります。

 

 

自慢じゃないけど、

100点ばっかり取ってくるからw

 

 

僕が同じような時は、

そんなに100点なんて取ってなかったのも、

あるかもしれません(^_^;)

 

話がそれましたね…

 

その点数を見た時に、

親としてどう反応するか?ということですが、

褒めるにしろ、怒るにしろ、

自分自信で選択しているんですね。

 

そこでもし90点ではなく、

もっと低い30点とか取ってきた時に、

褒めるまではいかなくても、

怒らないことはできますか?という話です。

 

僕が言っている「フラットな考え方」ができる人なら、

まず怒りません。

 

なぜなら、

「テストの点が低いことは悪いことではない」

そういう考え方だからです。

 

物事を良い悪いで判断しないんですね。

 

 

そして、

これに関してはかなり賛否あるかもしれません。

 

というのも、いわゆる人の道というのを

外れている時があるからです。

 

 

その世間一般的な人の道に対しても、

「勝手に決めんなやw」みたいなノリですw

 

ある意味タチが悪いですね(^_^;)

 

 

例えばこんな感じになります

フラットな考え方の極論としてはこんな感じです。

  • 正義の味方が必ずしも正しいとは思っていない
  • 戦争が必ずしも悪い事だとは思っていない
  • 犯罪者が必ずしも悪いとは思っていない

「なんやねんコイツwww」となるかもしれませんが、

良い悪いで判断しないので、

極端な表現だとこうなるんですね。

 

ただ、これらには頭にこの文章が付け加えられます。

 

「もし身内が犠牲になっても」

 

僕もフラットでありたいと思う人間ですが、

家族を持つ現状では、

さすがにこれを付け加えることはできません。

 

 

逆に言うと、これを付け加えた上で、

上記の考え方にならなければ、本当の意味でのフラットには、

ならないんですね。

 

そして見方を変えると、フラットになるということは、

「何があっても相手を許すことができる人」

ということになります。

 

先日こちらの記事でも「争いを終わらせる方法」として書いたのですが、

→あくまでも「価値」は相対的なわけで…

 

おそらくできる人は世界中探してもかなり少ないでしょう。

 

 

あなたの子供が正義の味方の戦いに巻き込まれて命を落としても、

許すことができますか?

 

 

あなたの子供が戦争で命を落としても、

相手の国の人を許すことができますか?

 

 

あなたの子供が犯罪の犠牲になっても、

犯人を許すことができますか?

 

 

もっと身近なレベルまで落とし込んでみましょう。

 

 

行列に並んでて割り込まれたとしても、

その人を許すことができますか?

 

電車やバスで自分勝手な振る舞いをしている人を見て、

それを許すことができますか?

 

仕事で明らかに手柄を横取りされた時に、

その人を許すことができますか?

 

自分のことを大切に扱ってくれない人を、

許すことができますか?

 

 

この「許すこと」が非常に難しいのは、

「身内や自分が巻き込まれた時」でも、

同じように許すことができるか?ということなんですね。

 

 

誰だって子供の身に何かあれば、

許すことなんてできないと思います。

 

もしくは「こいつを許すと損をするかもしれない」という考えが、

心のどこかにあるからだとも思っています。

 

そういった考え方を一切排除したのが「フラットな考え方」で、

こうした「私情」や「損得勘定」が身近なところにある限り、

平和なんてものがやってくることはまずないと、僕は思います。

 

 

その逆で、もし皆が許しあえる世の中だったとしたら、

損をすることなんてないし、

そもそも怒りを抱えることなんてないんじゃないかと思います。

 

 

この地球上の人間が皆そういう考えだったら、

いったいどんな世界になるだろう?と思ったことがあります。

 

もしかすると、

 

戦争なんて知らないぐらい子供の頃に、

思い描いた世界そのまんまになるかもしれませんね^^

 

 

まとまりのない文章でしたが、今回はこの辺で!

 

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