僕なりに考えている「フラットな考え方」というもの

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兵庫県加古川市在住の3児の父親です。
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アニメやマンガ好きで、子供の影響か?ギターの練習を再開しましたw

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どうも、「癒せるブログ屋さん」がみたかです。

 

先日書いた記事に、

「フラットでいこうよ^^」

的なことを書きましたが、

それについてもう少し書いてみようと思います。

 

 

刺激と反応の間

僕が大好きな本でもある

「まんがでわかる7つの習慣」

という本があるのですが、

その中にもこの「刺激と反応の間」というものにちなんだ、

出来事が起こります。

 

気になる方は読んでみてください^^

とても読みやすいのでオススメですよ!

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ある出来事(刺激)が起こった時に、

自分がどう反応(行動)するかで、

結果が大きく変わるというものです。

 

 

例えば子供がテストで90点を取った時に、

90点だったことに対して褒めるのか、

100点じゃなかったことに対して怒るのかってことです。

 

 

ちなみに、うちは小学3年生の子供がいますが、

どちらかというと褒めまくります。

 

 

自慢じゃないけど、

100点ばっかり取ってくるからw

 

 

僕が同じような時は、

そんなに100点なんて取ってなかったのも、

あるかもしれません(^_^;)

 

話がそれましたね…

 

その点数を見た時に、

親としてどう反応するか?ということですが、

褒めるにしろ、怒るにしろ、

自分自信で選択しているんですね。

 

そこでもし90点ではなく、

もっと低い30点とか取ってきた時に、

褒めるまではいかなくても、

怒らないことはできますか?という話です。

 

僕が言っている「フラットな考え方」ができる人なら、

まず怒りません。

 

なぜなら、

「テストの点が低いことは悪いことではない」

そういう考え方だからです。

 

物事を良い悪いで判断しないんですね。

 

 

そして、

これに関してはかなり賛否あるかもしれません。

 

というのも、いわゆる人の道というのを

外れている時があるからです。

 

 

その世間一般的な人の道に対しても、

「勝手に決めんなやw」みたいなノリですw

 

ある意味タチが悪いですね(^_^;)

 

 

例えばこんな感じになります

フラットな考え方の極論としてはこんな感じです。

  • 正義の味方が必ずしも正しいとは思っていない
  • 戦争が必ずしも悪い事だとは思っていない
  • 犯罪者が必ずしも悪いとは思っていない

「なんやねんコイツwww」となるかもしれませんが、

良い悪いで判断しないので、

極端な表現だとこうなるんですね。

 

ただ、これらには頭にこの文章が付け加えられます。

 

「もし身内が犠牲になっても」

 

僕もフラットでありたいと思う人間ですが、

家族を持つ現状では、

さすがにこれを付け加えることはできません。

 

 

逆に言うと、これを付け加えた上で、

上記の考え方にならなければ、本当の意味でのフラットには、

ならないんですね。

 

そして見方を変えると、フラットになるということは、

「何があっても相手を許すことができる人」

ということになります。

 

先日こちらの記事でも「争いを終わらせる方法」として書いたのですが、

あくまでも「価値」は相対的なわけで…

 

おそらくできる人は世界中探してもかなり少ないでしょう。

 

 

あなたの子供が正義の味方の戦いに巻き込まれて命を落としても、

許すことができますか?

 

 

あなたの子供が戦争で命を落としても、

相手の国の人を許すことができますか?

 

 

あなたの子供が犯罪の犠牲になっても、

犯人を許すことができますか?

 

 

もっと身近なレベルまで落とし込んでみましょう。

 

 

行列に並んでて割り込まれたとしても、

その人を許すことができますか?

 

電車やバスで自分勝手な振る舞いをしている人を見て、

それを許すことができますか?

 

仕事で明らかに手柄を横取りされた時に、

その人を許すことができますか?

 

自分のことを大切に扱ってくれない人を、

許すことができますか?

 

 

この「許すこと」が非常に難しいのは、

「身内や自分が巻き込まれた時」でも、

同じように許すことができるか?ということなんですね。

 

 

誰だって子供の身に何かあれば、

許すことなんてできないと思います。

 

もしくは「こいつを許すと損をするかもしれない」という考えが、

心のどこかにあるからだとも思っています。

 

そういった考え方を一切排除したのが「フラットな考え方」で、

こうした「私情」や「損得勘定」が身近なところにある限り、

平和なんてものがやってくることはまずないと、僕は思います。

 

 

その逆で、もし皆が許しあえる世の中だったとしたら、

損をすることなんてないし、

そもそも怒りを抱えることなんてないんじゃないかと思います。

 

 

この地球上の人間が皆そういう考えだったら、

いったいどんな世界になるだろう?と思ったことがあります。

 

もしかすると、

 

戦争なんて知らないぐらい子供の頃に、

思い描いた世界そのまんまになるかもしれませんね^^

 

 

まとまりのない文章でしたが、今回はこの辺で!

 

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